サイトアイコン footcalcio

「日本で何度か一緒に練習した」久保建英から見た18歳・中井卓大の印象は? イ・ガンインとの関係やマドリー退団についても明かす


久保建英が所属するレアル・ソシエダは現地9月3日、ラ・リーガ第4節のアトレティコ・マドリー戦に挑む。この大一番を前に、地元紙『ノティシアス・デ・ギプスコア』が久保の独占インタビューを行なった。サッカーダイジェストWebでは、同紙の許可を得て、貴重なインタビューを掲載。第3回では、自身のキャリアやマドリーの後輩でもある中井卓大について語っている。

https://news.yahoo.co.jp/articles/2aaff1b0bd2c34664cbe38ee2dd3334ec89060c0

地元紙『ノティシアス・デ・ギプスコア』のインタビューに応じた久保


―出身の川崎市はどのようなところですか?

「神奈川県に位置する市で、バルセロナのサン・クガット(バルセロナ郊外にある街)みたいなところさ。海はあるけれど、あまり美しいとは言えない。こことは違う。僕はドノスティア(サンセバスティアンのこと)のほうがずっと好きだ」

―路上でよくサッカーをしていたのですか?

「子供のころからいつも、いつも、路上でサッカーをしていた。今でも近くにグラウンドがあり、利用可能であれば、休日にそこでサッカーをしたい。実際、休みの日も、練習場に来るのが好きだしね。ボールは蹴らない。やりすぎも良くないから。何もしなくてもピッチに立ったり、ジムでトレーニングをしたりするのが好きなんだ」

―ご自身のことをストリートで鍛えられた選手とお考えですか?

「自分ではそう思っている。僕は、周りから天才と呼ばれるような選手ではない。努力してサッカー選手になった。子供の頃から誰よりも練習してきたし、そのことを誇りに思っている」

―バルサは、かなり早い段階からあなたに注目していたんですよね。

「きっかけは日本で行われたバルサキャンプだった。MVPに選出され、スペインのバルサスクールのチームの一員としてトーナメント大会に参加した。そして、そこでもMVPに選出され、バルサの入団テストを受けた。とても満足のいく形で迎えてもらった」

―あなたが所属するチームは、グローブトロッターズのようにほぼ無敵の強さを誇ったんでしたよね。

「素晴らしいチームだった。アンス(ファティ)、エリク(ガルシア)、アドリアン・ベルナベ、(ニルズ)モルティメル…。とても優秀なメンバーが揃っていた。キックオフ前から勝利はほぼ確定していたので、誰が最も多くのゴールを決められるか、という気持ちで試合に臨んでいた」

―アンスとは今でも仲は良いですか?

「僕はどの選手とも仲良くなれる。家族のようなチームで、みんな仲が良かった。チームメイトの両親からもとてもよくしてもらった」

―だからこそFIFAの制裁で日本に帰国することを余儀なくされことは大きなショックだったでしょうね。

「ひとりのサッカー少年が、異国の地に行って、プレーするのを禁止されるというのは、いまだに理解できない。テニスではありえないことだ。どうしてそんなルールがあるのか理解できない。でもそういうものだから、何もできない」

―そんな中、突然現れたのがマドリーでした。

「18歳になるまで待たなければならなかった。コパ・アメリカに出場している最中に、マドリーから声がかかった。試合があり、大会が終わるとすぐにプレシーズンが始まるので、ゆっくり選んでいる時間がなかった。それでマドリーを選んだんだ」

―マドリーに入団した頃を振り返ってもらえますか?

「もしかすると誰も話をしてくれないかもしれないと思っていたけど、トップレベルに到達した人間は、人格的にも優れている。どっしりとした落ち着きがあって、新たに加わった若者に対しても親切に接してくれる。素晴らしいことだよ」

―ただそれがレンタル生活の始まりでもありました。最初の移籍先はマジョルカで、35試合に出場しました。

「EU圏外枠が全て埋まっていたので、出て行くしかなかった。マジョルカでの1年目のシーズンはとても良かった。マドリーの関係者からは、カスティージャに残ってもう少し様子を見るように言われたけど、僕が移籍を志願した。マジョルカは1つの家族のようなチームだった。街の人みんなが応援してくれる。そんな中、日本から誰も知らない18歳の若者が来たんだ。すぐに僕のことを認めてくれて、それが1年目の成功の土台になった。家族的な雰囲気が後押ししてくれたのは間違いない」

―ビジャレアルでは(ウナイ)エメリ監督の要求通りに物事は運びませんでした。

「ポジティブなこともあった。とくに中盤から前線にかけてレベルの高い選手が揃っていて、そんなチームメイトたちと一緒に練習することができた。ただ19歳の選手が、レンタルという形でプレーするのはなかなか大変なんだ。僕が一つのプランを持って加入しても、ミステル(監督)が別のプランを考えていることもあって、それで意見に食い違いが生じることもある。でもELでプレーすることもできた。ポジティブに振り返ることができる出来事もあった」

―ヘタフェを次の移籍先に選んだのは理解に苦しみました。

「僕のプレースタイルに合わないと言われるけど、守備に対する意識が大きく変わったと思う。ボルダラスの守備の構築は、他の監督とはまったく違っていて、アウェーでプレーするときにとても役に立った。彼のおかげで守備力が大きく向上したと思うし、精神的にもタフになった。

ミーティングでの話し方も他の監督とは全く違っていた。カリスマ性があり、時には選手と衝突することもあったけど、ポジティブな面を見れば、優秀な監督に思えた。僕にはとてもやりやすかった」

―そして昨シーズン、マジョルカに復帰しました。

「いろんなことが起こった。スタートはとても良かった。でも突然怪我をしてしまい、チームが勝てなくなり、戦い方が方向転換し、(ヴェダト)ムリチが加入し、志向するサッカーも少し変わってしまった。ルイス・ガルシアは戦い方を踏襲しようと軌道修正を試みてはいたけどね。そんな中、6試合、7試合と黒星が続くと、監督を交代しなければならなかった。監督にとっては難しい状況だ。彼(ルイス・ガルシア)は僕たちの責任をかぶった格好だ。

アギーレが招聘された後は、セカンドボールを狙うダイレクトなサッカーに舵が切られた。何が何でも1部残留を果たさなければならないというクラブ全体に広がっていた切迫感がそうさせていたことも事実だ。ああいう戦い方をするか負けるかの二者択一だった。他に選択肢はなかった」

―マドリーのフロレンティーノ・ぺレス会長はあなたに大きな期待を寄せていたと言われています。

「18歳であっても、EU圏外枠に空きさえあれば、そのまま留まり、マドリーでプレーする楽しみを体験したかった。フロレンティーノがいつも僕のことを評価してくれていたことは事実だ。はっきりした理由は分からないけど、僕のプレースタイルが好みなんだろう。

これまでたくさんの選手を発掘してきた会長に期待を寄せてもらえることは自信に繋がる。いまはソシエダでのプレーに集中しているけど、そうした自信が糧になって良いパフォーマンスを発揮できるようになるんだ」

―そのマドリーでは、中井卓大がカスティージャに昇格しました。彼の印象は?

「とても良い選手だ。日本で何度か一緒に練習する機会があったけど、長身でクオリティの高いプレーを見せるMFだ。この調子でステップアップしてもらいたい」

―(マジョルカで昨シーズンに共闘した)イ・ガンインとは今も連絡を取り合っていますか?

「この10分前までワッツアップで話していた。僕も彼も今シーズンも同じチームでプレーしたいという希望を持っていた。彼はマジョルカに留まったけど、ソシエダのプレースタイルとの相性はいいはずだ。僕たちは似ている。

同時に彼は僕にないものを持っていて、その逆のことも言える。素晴らしいキックの技術を持ち、闘争心も旺盛だ。さらに彼は人間としても10点満点。本当に気が合ってね。性格的に韓国人よりもスペイン人に近い。彼もぜひ活躍してもらいたい」


ソシエダは今夜25:30よりアトレティコと対戦する。
モバイルバージョンを終了