日本代表15キャップを誇るMFは、2021-22シーズンの冬に前田大然、旗手怜央と共にスコットランド屈指の名門に加入。しかし、同胞2人がすぐさま主力に定着したのに対し、怪我もあり全く出場機会を得られず。
昨冬にアビスパ福岡への期限付き移籍という形でJリーグに復帰すると、今年1月にヴィッセル神戸へ完全移籍。結局、二度目の海外挑戦も結果を出せないまま終わりを迎えた。
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怪我もあり、セルティックでは全く試合に出られなかった井手口
「2021年、アンジェ・ポステコグルー監督(現トッテナム)の就任により、セルティックは新たなマーケットを開拓した。このオーストラリア人は、特にJリーグから未開拓の才能を発掘する豊富な知識をもたらしたのだ。そして最初に獲得した古橋亨梧が大ブレイクすると、翌年1月に前田大然、旗手怜央、井手口陽介も加えた。
旗手と前田は即座にインパクトを与えたが、井手口は同じような活躍をできず、他のMFと同胞の間には明確な差があった。実は、井手口にとって欧州サッカーは初めての経験ではなかった。リーズでは散々で、スペインのレオネサやドイツのグロイター・フュルトにレンタル移籍したが、改善の兆しを見せられなかった過去があるのだ」
同氏はそのうえで、失敗の理由をこう分析している。
「同時期に契約したマット・オライリーと旗手が即座に先発の座を掴み、デイビッド・ターンブルが井手口の序列を上回っていたため、出場時間は限定された。それにカップ戦に初先発した際に負傷し、長期離脱を余儀なくされた。その後、2022-23シーズンの半ばには、JリーグMVPの岩田智輝も加わり、セルティックでのプレーは終わりを告げたのである。
慣れ親しんだ環境への帰還は避けられず、2023年1月に福岡にレンタル移籍した。ただ、セルティック時代のように早々に怪我を負って3か月間離脱したが、復帰後は際立つ活躍で福岡のJリーグ史上最高成績に貢献した。欧州での苦戦は、Jリーグが本領を発揮できる場所だと示しており、王者神戸への完全移籍も驚くべき決断ではなかった。明らかに質の高い選手ではあるが、セルティックは彼にとってのクラブではなかったのだ」