J1リーグ第34節を終えて首位に立っているサンフレッチェ広島で、シーズン後半戦の躍進を支えている1人が、今夏に欧州でのプレーから復帰したMF川辺駿だ。スイス、ベルギーでのプレーを経て感じた自身の成長や、イングランド1部プレミアリーグのウォルバーハンプトンとの契約、そして帰国間際にあった海外メディアからのホームシック報道などについて語った。3シーズンにわたる欧州生活の喜びや悔しさは、どこにあったのか。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a811a4a5f70854f1b71ec8e8febed24d1acf9952
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日本からのオファーに「日本に帰りたい」と言ったのが“ホームシック扱い”に
川辺駿が激白
— FOOTBALL ZONE (@zonewebofficial) October 24, 2024
海外で“ホームシック報道”の真相は?「チーム事情があった」【インタビュー】
「周りからは『ホームシックじゃないでしょ』と言われた」
(取材・文=轡田哲朗)#川辺駿https://t.co/KFjTl729xR
川辺は地元・広島の出身で下部組織から育ってトップチーム昇格。ジュビロ磐田への期限付き移籍も挟みながら活躍してきた。そして、日本代表でのデビューも果たして迎えた2021年夏にスイス1部グラスホッパーへの移籍が発表された。
スイスで送ったサッカー選手としての生活について、「ヨーロッパでも、世界の中でもいい国。綺麗だし、物価は高いけど生活のしやすさはヨーロッパでも飛び抜けていると思う。生活に困ることはなかった。サッカーの面では、日本からスイスに行っての最初の3か月くらいは、慣れるまでに大変だった。サッカーのスタイルや言葉、食べ物も全部が違うので大変だったけど、慣れてからはチームからの信頼も感じられて個人的には結果も出せた」と振り返る。
その最初の時期に苦労したことが何かと言えば、やはり「強度」という言葉に落ち着いた。一方、グラスホッパーがウォルバーハンプトンとの提携クラブだったことが自身にとっての大きなモチベーションになっていたとして、「まずは練習についていくのに必死で、練習や試合の強度は全然違うものだった。選手もそうだし、芝生などの環境も違った。これが普通なんだという思いでプレーしていたし、本当に上しか見ていなかった。ウルブス(ウォルバーハンプトン)との提携で3人か4人がレンタルできていたし、『彼らより活躍すれば、ウルブス行きもあるんじゃないか』と、小さな目標を立てながらやっていましたね」と当時の思いを明かす。
その「あるんじゃないか」は、半年後に現実のものになった。2021-22シーズン冬の移籍市場の時期に、ウォルバーハンプトンが3年半の契約で川辺を獲得したと発表された。その要因を「ヨーロッパの強度はすごく高かったので、その中で自分がどうやって生きていくのかを学んだ期間だった。1点の重みを凄く感じたので、半年ずっと良かったわけではなく、最後の2か月くらいでポンポンと4点取れたのがすごく大きかった」と語る。
しかしながら、ウォルバーハンプトンと契約したうえでグラスホッパーに期限付き移籍する形でのプレーは1年半続いた。そして、2022-23シーズンの終了時にグラスホッパーからの退団が発表された川辺は、イングランドでのプレーが期待されたものの、ベルギー1部スタンダール・リエージュへの完全移籍が発表された。スイスでの2シーズンはフル稼働で、ゴール数も7ゴール、9ゴールと少なくなかった。そうしたなかで、プレミアリーグでのプレーが実現しなかった経緯を川辺は説明してくれた。
「スイスとプレミアリーグの間にサッカーのレベルの差はあるし、誰が見てもプレミアリーグが世界最高峰。そこでプレーする、契約をするのはすごく難しいことだと感じた。スイスで結果は出したけど、ウルブスには化け物と言われる選手がたくさんいた。自分の判断というよりはウルブスの判断で、自分の実力が足りなかったのが一番だと思うけど、それプラスでビジネスという側面も向こうにはすごくある。実力が足りなかったのとプラスとしてスイスでの活躍によって、ウルブスとしては(完全移籍で)買ってもある程度の金額で売れるだろうと見込めていたと思う。どっちに転んでもというのはあったと思うけど、自分としては実力が足りなかったと。
プレミアでプレーするのはヨーロッパでプレーする選手、若い日本人選手にも目標だと思うけど、これだけ日本人が何人かしかいけていないという意味でも相当なレベルにあると思う。フィジカルや頭の部分、メンタリティーでも全ての面でトップレベルにある。もちろん、行けなかったのは悔しいけど、自分の力がまだまだ足りないとも感じたし、ほかのチームに行くとなっても、そこで頑張って少しでも近づきたいという思いだった」
そのような過程を経て加入したリエージュもベルギーの名門であり、「スイスにいた時より2段階も3段階もレベルの高いチームだと練習で感じた。いる選手を見ても、リーグの上位を狙えるチームだと感じていた。環境、スタジアム、ファン、すべてがベルギーの中ではトップレベルだった」と話す。そのなかで、川辺はチームの中心選手として1シーズンをフル稼働した。
しかし、欧州での昨シーズンが終了した7月末に日本復帰が浮上した。その際には「ホームシック」というワードも海外メディアから報じられた。その真相について、川辺はやや苦笑いも浮かべつつ、こう話した。
「今回、ベルギーのチームから移籍するとなった時、『日本のチームからオファーがあるけどどうする?』となった。いろいろな時間を経て、いろいろなステップがあるなかで、『じゃあ日本に帰りたい』と言ったのが、ホームシックと言われただけだと思う(苦笑)。ホームシックになる暇がないくらい充実していたし、本当にそうだったら半年で帰っていると思うけど、ホームシックになるようなことは1回もなかった。
言葉はあっちの捉え方次第だと思うし、チーム事情があったので。ホームシックと伝えた方がチームとしては丸く収まるというか。去年のチームで一番活躍したくらいの成績だったので、その選手がいなくなるのは痛いと言われたし、理由はどうであれ、出ないといけない状況にはあった。周りからは『ホームシックじゃないでしょ』と言われるくらい楽しんでいた。ホームシックになる要素はなかったですね。チームメイトもスタッフもいい人が多くて、信頼もされていた。めちゃくちゃ楽しかったですよ」
3シーズンをトータルして見た時に、川辺は「スイスもベルギーも、自分にとってはすごくいい国だったと思う」と話す。それでも、文化的な側面も含め日本と欧州の違いも多く感じられた期間になっていたことも言葉にした。
スイスで送ったサッカー選手としての生活について、「ヨーロッパでも、世界の中でもいい国。綺麗だし、物価は高いけど生活のしやすさはヨーロッパでも飛び抜けていると思う。生活に困ることはなかった。サッカーの面では、日本からスイスに行っての最初の3か月くらいは、慣れるまでに大変だった。サッカーのスタイルや言葉、食べ物も全部が違うので大変だったけど、慣れてからはチームからの信頼も感じられて個人的には結果も出せた」と振り返る。
その最初の時期に苦労したことが何かと言えば、やはり「強度」という言葉に落ち着いた。一方、グラスホッパーがウォルバーハンプトンとの提携クラブだったことが自身にとっての大きなモチベーションになっていたとして、「まずは練習についていくのに必死で、練習や試合の強度は全然違うものだった。選手もそうだし、芝生などの環境も違った。これが普通なんだという思いでプレーしていたし、本当に上しか見ていなかった。ウルブス(ウォルバーハンプトン)との提携で3人か4人がレンタルできていたし、『彼らより活躍すれば、ウルブス行きもあるんじゃないか』と、小さな目標を立てながらやっていましたね」と当時の思いを明かす。
その「あるんじゃないか」は、半年後に現実のものになった。2021-22シーズン冬の移籍市場の時期に、ウォルバーハンプトンが3年半の契約で川辺を獲得したと発表された。その要因を「ヨーロッパの強度はすごく高かったので、その中で自分がどうやって生きていくのかを学んだ期間だった。1点の重みを凄く感じたので、半年ずっと良かったわけではなく、最後の2か月くらいでポンポンと4点取れたのがすごく大きかった」と語る。
しかしながら、ウォルバーハンプトンと契約したうえでグラスホッパーに期限付き移籍する形でのプレーは1年半続いた。そして、2022-23シーズンの終了時にグラスホッパーからの退団が発表された川辺は、イングランドでのプレーが期待されたものの、ベルギー1部スタンダール・リエージュへの完全移籍が発表された。スイスでの2シーズンはフル稼働で、ゴール数も7ゴール、9ゴールと少なくなかった。そうしたなかで、プレミアリーグでのプレーが実現しなかった経緯を川辺は説明してくれた。
「スイスとプレミアリーグの間にサッカーのレベルの差はあるし、誰が見てもプレミアリーグが世界最高峰。そこでプレーする、契約をするのはすごく難しいことだと感じた。スイスで結果は出したけど、ウルブスには化け物と言われる選手がたくさんいた。自分の判断というよりはウルブスの判断で、自分の実力が足りなかったのが一番だと思うけど、それプラスでビジネスという側面も向こうにはすごくある。実力が足りなかったのとプラスとしてスイスでの活躍によって、ウルブスとしては(完全移籍で)買ってもある程度の金額で売れるだろうと見込めていたと思う。どっちに転んでもというのはあったと思うけど、自分としては実力が足りなかったと。
プレミアでプレーするのはヨーロッパでプレーする選手、若い日本人選手にも目標だと思うけど、これだけ日本人が何人かしかいけていないという意味でも相当なレベルにあると思う。フィジカルや頭の部分、メンタリティーでも全ての面でトップレベルにある。もちろん、行けなかったのは悔しいけど、自分の力がまだまだ足りないとも感じたし、ほかのチームに行くとなっても、そこで頑張って少しでも近づきたいという思いだった」
そのような過程を経て加入したリエージュもベルギーの名門であり、「スイスにいた時より2段階も3段階もレベルの高いチームだと練習で感じた。いる選手を見ても、リーグの上位を狙えるチームだと感じていた。環境、スタジアム、ファン、すべてがベルギーの中ではトップレベルだった」と話す。そのなかで、川辺はチームの中心選手として1シーズンをフル稼働した。
しかし、欧州での昨シーズンが終了した7月末に日本復帰が浮上した。その際には「ホームシック」というワードも海外メディアから報じられた。その真相について、川辺はやや苦笑いも浮かべつつ、こう話した。
「今回、ベルギーのチームから移籍するとなった時、『日本のチームからオファーがあるけどどうする?』となった。いろいろな時間を経て、いろいろなステップがあるなかで、『じゃあ日本に帰りたい』と言ったのが、ホームシックと言われただけだと思う(苦笑)。ホームシックになる暇がないくらい充実していたし、本当にそうだったら半年で帰っていると思うけど、ホームシックになるようなことは1回もなかった。
言葉はあっちの捉え方次第だと思うし、チーム事情があったので。ホームシックと伝えた方がチームとしては丸く収まるというか。去年のチームで一番活躍したくらいの成績だったので、その選手がいなくなるのは痛いと言われたし、理由はどうであれ、出ないといけない状況にはあった。周りからは『ホームシックじゃないでしょ』と言われるくらい楽しんでいた。ホームシックになる要素はなかったですね。チームメイトもスタッフもいい人が多くて、信頼もされていた。めちゃくちゃ楽しかったですよ」
3シーズンをトータルして見た時に、川辺は「スイスもベルギーも、自分にとってはすごくいい国だったと思う」と話す。それでも、文化的な側面も含め日本と欧州の違いも多く感じられた期間になっていたことも言葉にした。
コメント
アゴないから見た目が無理だったわ
あんまりそういうこと言っちゃいかんぞ
ポジションやくすぶり方を見ても田中蒼を見てると似たような感じだけど、本人が仰るようにただただ素人にはわからないプロの評価って間違いないものがあるんでしょうね。リーグレベルの差ってのは思ってるよりでかいのも。
個人的には帰国は残念ではあるけど、本人の決断だしな
相馬や中山は怪我のせいもあるけど、また3人とも海外オファーくるといいね
リーグレベル差は確実にあるだろうし、評価対象になると思う
同じプレミアでもスコティッシュリーグレベルで活躍しても……と言える位に、日本代表に招集されるのは厳しいと言われる程レベル上がってるし、前田や旗手みたいな一芸や突き抜けた能力とかない限り、厳しいんだろうね
給料の未払いじゃなかったんだね