夏にナポリに加入したクビチャ・クバラツケリアは、今シーズンのセリエAの掘り出し物と称されている。ジョージアから来た無名だった彼の貢献度は、リーグ首位での折り返しが決まったナポリにおいて計り知れない。
イタリア挑戦当初は無名だったが、早々に大きなインパクトを残して一躍スターになった選手といえば、フランス・ワールドカップ後にペルージャに移籍した中田英寿も同じだ。当時ペルージャの会長だったルチャーノ・ガウッチの息子が、元日本代表のことを振り返っている。
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ユベントスから鮮烈な2ゴール!中田英寿、衝撃のデビュー戦
アレッサンドロ・ガウッチは、『Radio CRC』で「ペルージャ時代の最も特殊だった交渉はナカタだ。欧州クラブと日本人の初めての本格的な交渉だったからね」と話した。
「日本のチームには選手を国外に売却する習慣がなかった。大変な交渉だったよ。結果を残すために、私は日本に4か月いたんだ。ハードだった。だが、最後は達成できたよ」
自国の若手選手に対する期待と重圧が大きいことが足かせとなり、若手登用に慎重と言われるイタリア。ガウッチは「国外の若手は重圧を感じない? 人や文化次第だよ。アジア市場で私は言葉が分からなくても準備ができている選手たちを見てきた」と述べている。
「彼らは独特なプロ意識を持っているんだ。ナカタは来たときにイタリア語を話さなかったが、(練習に)最初に来て最後に帰っていたのを覚えているよ。彼は常にあらゆる細部に注意を払っていた。素晴らしいレベルの選手になるための生活をしていた。ペルージャでミッドフィルダーながら10得点だ」
現在のナポリの司令塔であるスタニスラフ・ロボトカに中田を思い出すか問われると、ガウッチは「イエスでもあり、ノーでもある。ロボトカはもっとプレーメーカーだと思うからだ」と答えた。
「ナカタはもっとピッチを動き回ることを好んでいた。前めのレジスタだった。守備より攻撃面をケアしていたんだ。少し(ジャコモ・)ラスパドーリのようだね」