元日本代表MFの中村俊輔氏がWOWOWの番組『中村俊輔プレミアムトークセッション 岡崎慎司と見据えるサッカーの最先端と欧州最高峰の舞台』で、スペイン時代について言及した。
イタリアのレッジーナ、スコットランドのセルティックで計7シーズンに渡って活躍した俊輔は2009年の夏に、満を持してラ・リーガのエスパニョールに移籍した。
ただ、後にトッテナムやパリ・サンジェルマンを率いるマウリシオ・ポチェティーノ監督から満足な出番を与えられず、13試合に出場して無得点。約半年でスぺインを後にする結果となった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b52f9ba49149b96c5194aa4f788e134cc6e06176
「絶対もっとやれてましたよね?」という岡崎の問いに…
スペインでプレー経験のあるゲストの岡崎が「俊さんはもっと、日本人やれるぞって見せられたはず。ベストだったら、エスパニョールの時、絶対もっとやれてましたよね?」と尋ねると、稀代のレフティはこう本音を明かした。
「いやいや、ベストだったよ。あの時はポチェティーノで、練習メニューだったり、自分の見る目はすごく良くしてくれたと思う。必ずサブでも使ってくれたり」
俊輔は「俺が苦しんでいるも分かってくれて、何度か監督室に呼ばれて、話したり、いろいろ気を遣ってくれた。その中で半年だったけど、結果を残せなかった。それは選手の力量だった」と続けた。
コメント
岡崎的には『絶対俊さんならもっと(自分のスタイルに合うチームとかに移籍して)やれましたよね』って意味だと思う。
久保のマジョルカ一年目みたいに俊輔のときも西澤のときもパス来なかった。あれが来てたらもっとできてたと思う。
スペイン語ペラペラなら違ったんだろうな。
でもそれ言ったらタケ以外のどの日本人にも言えることやが。
公私共に手助けしてくれてたキャプテンが死んだのも痛かったな
スペイン語はあんまり関係ないんじゃないかな。
この世代は日本サッカーが、テクニックが一番大事だと勘違いしてた世代だから。
俊輔や小野がワールドクラスにならなくて日本サッカーは間違っていることに気付き始めた。
それでマリーシア、フィジカル、インテンシティと日本に必要なものとして素人さえも言い出した。
柿谷とか家長とか宇佐美は、少年時代に追いかけていたサッカーを修正できなくて置いてきぼりを食った連中じゃないかな。
俊輔がもしスペインサッカーを生で見れる環境に育っていたら、日本で一番成功したんじゃないかな。当時どうやって取り寄せていたのか知らないけど、中田はずっとセリエAの試合を見て学んでいたらしい。
スペイン人は日本人くらい背が小さいので、欧州で強豪と渡り合うためにラリーガのサッカーが細かいんだよ。プレミアは大雑把。
俊輔は間近に中田英がいたからフィジカルの重要性はずっと言ってたし当たりもそこまで弱くなかったぞ
足りなかったのはスピードだよ
インテンシティに対応するためのクイックネスの方が足りなかったぞ。
それもスピードに含めているのかもしれないが。
スコット最終年には調子落としてたし最悪の状態でスペイン挑戦だったな
大迫もだがその後Jで復活出来たのはたいしたもんだよ
自分は3、4才若くて行って欲しかったねって思う
スペイン語も出来る状態で
やっぱり現地語か最低英語しゃべれなきゃダメよ
城 大久保 家長 乾 清武 武藤
スペイン語ペラペラでも多分無理だったろうな
スコットランドに慣れすぎてリーガのスピードと強さと上手さに全然ついていけなくなってた
それを修正できるだけの若さも無くなってたからやっぱり移籍すんのが遅すぎたよ
セリエ時代から直接行けばまた全然違ったと思う
本人はベストと言っちゃいるが、開幕はコンディションはベストで、実際に結果としても出てた。でもそこから即怪我してその間にチームが纏まって戦力外になっていった記憶。
たしかエスパニョールのキャプテンはベテランで中村が来るっていうから移籍も取りやめてチームに残ったんだが、中村がくるのと丁度入れ替わりで怪我して長期療養になってしまった。彼がいたら流石に半年ではなかった気もする。
絶対悔しい部分もあったろうに己の力不足と言う辺りが俊輔嫌いになれねぇー
セリエAからスコットランド行ったらキャリアは、終わり
俊さん「足が痛かったんだよね」
>>10
ハーフナー