
元々はオセアニア連盟(OFC)に加盟していたオーストラリアは、2005年にOFC脱退とアジアサッカー連盟(AFC)加盟が決定。国際サッカー連盟(FIFA)も速やかに転籍を承認し、06年1月から「AFC加盟国」となった。“天敵”FWティム・ケイヒルの存在や、10年南アフリカ・ワールドカップ(W杯)、14年ブラジルW杯、18年ロシアW杯、22年カタールW杯の最終予選で対戦したこともあり、日本にとっても縁が深い国だ。
2015年に来日したデュークは、サウジアラビアに続いて自身にとって“海外2か国目”となる日本について、「安全な国で、お互いを尊重する文化。生きるうえでの価値観がそれぞれ似ている気がしていて、本当に素晴らしいと思います」と語る。
https://news.yahoo.co.jp/articles/efd28e28fb0bd137446bd2e44faae2aad344a9ce
京都・伏見稲荷神社を訪れるなど、オフの日には観光スポット巡りにも意欲的
Jリーグでは清水エスパルス(2015~18年)、ファジアーノ岡山(21~22年)、FC町田ゼルビア(23年~)と3チームに所属した経験を持つデューク。静岡県、岡山県にはどのような印象を持ったのか。
「岡山は落ち着いた街でした。自然があって、食べ物も美味しかった。清水も同様でフルーツが美味しかったですが、外国人はあまり多くありませんでした。私は大都市が好きなので、東京でいろんなことをやってみたい。すごく興奮しています(笑)。東京にはお洒落なカフェがたくさんあると聞いていますし、これからどんどん開拓していきたいです」
サッカー選手としてのキャリアの中では、日本が最も長くプレーする地となるデューク。「選手として必ず引退の時は迎えるもので、いつかオーストラリアに帰る日も来ると思いますが、日本でプレーしている限りは『ミッチェル・デュークは、得点もできる本当にいい選手だった』と名声を残したい」と想いを紡ぎ、日本を「第2の故郷」だと表現する。
「W杯やオーストラリア代表のことはもちろん、取材では日本のことをよく聞かれます。これまで例えば京都のお寺や神社をいろいろ回りましたし、日本の有名なスポットはだいたい行きました。私は文化を含めて日本のことが大好きで、日本語のタトゥー(カタカナで『デューク』)も入れています。日本のみなさんにはリスペクトしてもらっていて、この国での生活を楽しみながらプレーできています。私にとって日本は特別な場所、第2の故郷だと思っています」
日本を愛するデュークが、オーストラリア出身のJリーガーで史上最高の選手だったと語られる日も、そう遠くはないだろう。