中村俊輔、セルティック時代にマンU相手に決めた伝説FKの意図を16年越しに明かす。「『せーの』で蹴ったら絶対に読まれると思った」 | footcalcio

中村俊輔、セルティック時代にマンU相手に決めた伝説FKの意図を16年越しに明かす。「『せーの』で蹴ったら絶対に読まれると思った」

ネタ・談話

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DAZNの『やべっちスタジアム#103』では、今季限りで現役引退を発表した中村俊輔とMCを務める矢部浩之氏が特別対談。26年間のキャリアを振り返り、その真相を紐解いていく。

中村が24歳の時の2002年、イタリアのレッジーナへの移籍でスタートさせた初めて海外挑戦。2005年には、スコットランドの名門・セルティックへ移籍し、リーグ戦では3連覇を成し遂げ、リーグMVP、年間最優秀ゴールなど華々しい個人タイトルも獲得した。

https://news.yahoo.co.jp/articles/9b27b642cbf3710a1a0093efc332b3179ca94b3c

マンU相手に決めた一撃はCLでの日本人初ゴールになっている

この時期を中村は、「成功体験というのはこうなんだなと。監督もそう、家族もそう、全部が上手くいっていた」と振り返り、「子供が行っていた幼稚園の先生もすごく優しい人ばかりで、逆に日本語を覚えてくれた」と公私共に充実した時を過ごしていたようだ。

その中でも2006/07シーズンのUEFAチャンピオンズリーグで、世界的なビッククラブでもあるマンチェスター・ユナイテッドから決めた2本のFKは伝説として語り継がれている。矢部氏が「僕は一発目の方が好き」と2006年9月13日に敵地のオールドトラッフォードで沈めたFKを挙げ、その理由に「もうちょっと本来は間を取るけど、これって結構早めにシュートを打っている」と自身の分析を明かす。

すると中村は「流石ですね」とコメントし、当時の意図をこう明かしている。

「相手は俺のことを絶対に知らないと思ったので、「せーの」で蹴ったら絶対に読まれる。だから助走を短くわざと早く蹴ったので、(壁に入っていた)ザハ選手も飛ばなかったのかなとか、(GKの)ファン・デル・サールも見えてなかったと思う」。

続けて中村が「見抜いた矢部さん、すごくないですか」と感心すると、番組でのFK対決で数々の名勝負を繰り広げてきた戦友として「ライバルやから!(笑)」と笑いを誘っている。


その他にも壁に直面したエスパニョール時代や自身2度目のW杯となった南アフリカ大会などについても語られている。

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