サッカー日本代表 板倉滉の「やるよ、俺は!」苦難の海外初挑戦を振り返る

板倉滉

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ブンデスリーガ・ボルシアMGでの2シーズン目を迎えた板倉滉。今でこそ海外リーグで活躍中だが、初めての海外挑戦時には苦労もあったという。今回は当時を振り返るとともに、そんな彼を支えた〝なんとかなる〟の精神に迫る!

https://news.yahoo.co.jp/articles/9ea3fbe3be41da73eab0e692fb25308d28615815

板倉滉が苦難の海外初挑戦を振り返る

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海外のクラブに移籍して、もう5年目になる。「どうやって、言葉を話せるようになったんですか?」、あるいは「どのようにチームへ溶け込んだんですか?」という質問はよく受ける。僕の場合は、ほぼゼロからのスタートだった。

2019年にイングランド1部のマンチェスター・シティへ完全移籍。ただ、ビザの関係もあって、すぐにオランダ1部のFCフローニンゲンへ期限付き移籍となった。かなり慌ただしい移籍だったこともあり、当時の僕は「フローニンゲンってどこ?」というレベル。海外挑戦は、見知らぬ地でのホテル暮らしから始まった。

中学高校の授業は受けていたけど、英語は苦手科目だった。代理人からは「若いうちに英語は始めておいたほうがいい」と、教材やレッスンを紹介してもらったのだが、一切手をつけず。正直、サボってしまった(笑)。しかし、いざフローニンゲンに行ってみたら、通訳はつかず、思っていたよりもハードな状況に。

まずは食事。これが参ってしまった。フローニンゲンという街は、アムステルダムやロッテルダムのような都市部のように、ホテルから数分歩けばレストランがあちこちにあるわけではない。車も持っていなかった僕は、ひたすらホテルのレストランでごはんを食べることに。

メニューは当然、オランダ語か英語。辛うじて、わかる単語はChikhen(チキン)のみ。だから、来る日も来る日も鶏肉料理。ある日、冒険心から当てずっぽうで違うメニューを指さしてみたけど、結果は惨敗だった。

チームとの最初の合流も、選手みんなが参加していた食事の席だった。仏頂面でいるのもなんだから、何かしらコミュニケーションをとろうと、目の前にいるオランダ人選手に話しかけてみた。

「Do you like an apple?(リンゴは好き?)」。中学で習った初歩的な英文がとっさに出てきた。彼はきょとんとしていた。だって、リンゴなんてどこにもない。きっとヤバい日本人が来たと思われていたはずだ。

会話ができないのは、とにかくつらい。当時、チームには(堂安)律がいて、ずいぶん助かったが、四六時中頼りっぱなしというわけにもいかなかった。練習はトップチームに参加していたけれど、週末はU-23チームで遠征に行かされた。

試合に出られないもどかしさ、悔しさ、焦り。3ヵ月ほどたったところで、「もう後がない」とついにダニー・バイス監督のもとへ直談判しに行った。ただひとつ、「どうして僕はトップチームでプレーできないのか?」という英語だけ覚えて。

監督はホワイトボードを使って、丁寧に説明してくれた。うれしかったが、英語で何を言っているのかは、まったくわからない。そこからまた、試合に出られない日々は続いた。

結局、半年たってようやく、試合に出られるようになるけれど、転機はいくつかあった。

ひとつは、クラブから紹介された英会話の先生との出会い。彼女はフローニンゲン郊外に、旦那さん、ふたりの小さい子供と住んでいた。最初は、ホテルのラウンジでレッスンしていたけど、しばらくして「家に遊びにいらっしゃい」と誘ってくれた。

ちょうど、子供たちも英語を覚え始めで、一緒に段階を踏んで勉強できたのがレベルアップにつながった。今や本当の家族のような関係で、引っ越しのつなぎとして、1ヵ月間、部屋を借りたこともある。

もうひとつは、チームメイトとの交流。国内外問わず、どのクラブでも手を差し伸べてくれる選手は必ずいるものだ。当時を振り返り、真っ先に思い浮かぶのは、オーストラリアのフルスティッチ選手。21年のW杯アジア最終予選では、日本代表相手に直接FKを決めたこともある10番の選手だ。僕がまだ英語をしゃべれないとき、自宅に招待してくれて、身ぶり手ぶりのコミュニケーションにも、とことん付き合ってくれた。

映画に誘ってくれたオランダの選手もいた。数人で映画館に行ったけど、オランダ語に英語字幕。ポップコーンを食べる以外、することがなくて結局寝てしまった(笑)。とにかく、どんな誘いも断ることはなかった。たとえ言葉が通じなくても、気持ちは通じるはずだから。

ピッチでもそう。僕は練習の段階から「自分以外は全員敵」くらいの気持ちで、闘志をむき出しにしていた。試合でも、自分はやれるとアピールするためだ。

ある日、ボールがないところで脚を蹴られたので、思いっきりやり返したこともある。そのチームメイトはガチ切れ、殴り合いのけんかになった。律は笑って見ていたけど……。けんかはよくない。でも、プロとしてピッチ上で舐められるわけにはいかない。そこからだった、監督の態度に変化が表れたのは。僕の闘志を感じてくれたのか、次第に出場機会も増えていった。

海外へ行くのに、入念な下準備をするに越したことはない。でも、〝当たって砕けろの精神〟で、とりあえずぶつかってみるのも悪くない。もし、今の僕が当時の僕に声をかけるとすれば……「大丈夫、なんとかなるから」

先週末に行われたアウクスブルクとの開幕戦では右センターバックで先発することになり、ブンデスリーガで自身初となるゴールも決めてみせた板倉。ボルシアMGは今週末の26日にヴァークーゼンとの試合を控えている。

コメント

  1. 名無し より:

    【要約】
    言葉が喋れず苦労した。チキンばかり食べていた。
    全然試合に出られませんでした。
    でもチームメイトと殴り合ったら監督に認められました。

  2. 名無し より:

    板倉のコミュ強感ほんとすこ

  3. 名無し より:

    脳筋やけどメンタル強くて普通に羨ましい
    どの世界でもやっていけるメンタルやわ

  4. 名無し より:

    フルスティッチめっちゃいいやつやん

  5. 名無し より:

    フルスティッチって板倉とも同期だったんだ
    フランクフルトのイメージしかなかった

  6. 名無し より:

    逆に堂安はしっかりしとったんやろか
    偉いなアイツ

  7. 名無し より:

    英語使うしかない状況にならないと身につかんもんな実際
    日本で覚えても全く通用しないし理解できない

  8. 名無し より:

    堂安に頼り過ぎたら良くないから、言葉の通じない外国人と積極的に遊びに行くとか目茶苦茶メンタル強いな。
    外国ホテル暮らしで食事も口に合わず、試合に出られないし、練習でも削られる。若いのによく耐えられたもんだ。
    今やブンデスの古豪でチームリーダー
    代表レベルで安定して活躍できる選手はメンタルも人格も良くないといけないんだね

  9. 名無し より:

    メンタルとコミュ力で何とかしてるけど、美談ではなく失敗談だよねこれ。
    実力があって監督から見限られなかったからギリギリ生き残ったラッキーな例であって、普通の選手がこの状況に陥ったらほぼほぼ挫折してJに帰還ですわ。こんな風に上手く行かなかった選手は多いんやろなぁ・・・。

  10. 名無し より:

    元地域リーグのYoutuberを料理人として雇ってたのはそういう経緯があったんだな

  11. 名無し より:

    まぁ特殊なケース過ぎるし、少なくともプロ志願の若者達が教訓にしていい話ではないな
    逆に中田ヒデの学生時代とか子供としては気味が悪いレベルで意識が高い

  12. 名無し より:

    外国語はとにかく単語覚えてブロークンでもいいから話すことで身につく
    日本人は学校で長年正しさに拘る教育受けてるから苦手な人多い

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