人生には、いくつかのターニングポイントがある。僕らサッカー選手の場合は〝移籍〟がまさにそうだ。今回は、オランダのエールディビジからドイツのブンデスリーガへの挑戦、そこで心を動かされたことについて語ってみたい。
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板倉滉がドイツへの移籍時、心動かされたこととは
けれど、2シーズン目(19-20シーズン)の開幕戦(8月1日vsエメン)で起用されてからは、コンスタントに出場することができ、3シーズン目(20-21シーズン)にはリーグ戦全試合出場も成し遂げた。監督やチームメイト、スタッフとは2年半を共に過ごしたことでとても仲良くなれたし、確かな信頼関係も築けた。居心地はよかった。
でも僕は、そういうときこそが 〝分岐点〟だと考えている。そのまま、レギュラーの主力として試合に出続ければ、いろんな面で安定するのはわかっている。しかし、それでは前に進めないし、なれ合いの中にどっぷり漬かってしまったら、ステップアップもできない。
だからこそ、僕は人生においてある段階まで到達したら、あえて違う環境に身を置いて、また一から積み上げていくことを心がけている。
当時の僕はレンタルで、保有権はマンチェスター・シティにあったけど、いろいろな要素を踏まえ、現実的に移籍を狙っていたのはブンデスリーガだった。FCフローニンゲンでの2シーズン目、なんとなく移籍をにおわせていたら、ダニー・バイス監督(当時)から、起用されなくなったときもあった。たぶん、ほかのクラブに目を向けている僕に対する様子見もあったのかもしれない。
ただ、そこは監督と膝を突き合わせて話し合える関係性にはなっていたので、3シーズン目に突入する前、ふたりでミーティングを行なった。そこで監督には「コウ、もう1シーズン、一緒にやろう。この1年をやり切ったら、君もステップアップのタイミング。たとえ、1試合悪い出来だったとしても、君を信じてスタメンで起用し続けるつもりだよ」と言われた。
腹をくくった。3シーズン目もFCフローニンゲンのために全力で臨もう。やり切ったら、そこで次の舞台へ。結果、フル出場達成とクラブ年間最優秀選手賞(MVP)を受賞。貢献できた喜びと同時に、達成感があった。
21-22シーズンへの移籍期間、代理人が複数のクラブと交渉に当たってくれた。その中で、最も具体的かつ熱意を持って、オファーを出してくれたのが、シャルケ04だった。
強化部のスポーツディレクター、ルーベン・シュレーダー氏(当時)は熱い人だった。僕に直接電話もくれた。それと今でも忘れられないのが、強化部とのリモートミーティング。わざわざ僕に向けたプレゼンのために、クラブのサポーターやスタジアムの雰囲気を収めたオリジナルの動画を見せてくれた。
「私たちには、コウが必要だ。今すぐスタメンで出てもらいたい」という言葉に胸が熱くなった。これだけの誠意を示されて、心が動かない人は果たしているだろうか?
ただ、シャルケ04は当時ブンデスリーガ2部に降格。シーズンもすでに始まっていた。
「コウ、この日までに答えを聞かせてほしい」
期限は迫っていた。ブンデスリーガ1部のクラブへのアプローチも同時に進んでおり、スコットランドリーグ1部のクラブとの交渉に関しては、かなり固まりつつあった。シャルケ04のオファーを蹴って、当初の目標どおり、強豪クラブからのオファーをそのまま待つべきか、否か。決断を下さねばならなかった。
熟考の末、結論を出した。やはり、シャルケ04に行こうと。強化部の姿勢、サポーターとスタジアムの熱気。チームとしては1年で再び1部に返り咲くという明確な目標もあり、そこにやりがいを感じたのだ。
いざ、ブンデスリーガの舞台に立つと、オランダとは違った激しさを体感することになった。とにかく速く、激しく当たってボールを奪う。いわゆるゲーゲンプレスは、2部の場合、特に顕著だった。
オランダのほうが、どちらかといえば、ボールをややゆっくり回すスタイルだったこともあり、初めの頃は、少し面食らった。ピッチ外でも、環境は大きく変わった。ドイツ人はとにかく真面目で、ヨーロッパの中では珍しく、目上の人を立てる先輩後輩の関係性が存在するし、時間にも正確。
驚いたのは、チーム全体の食事では支給されたおそろいのポロシャツを着るよう、指示されたこと。僕がTシャツを着て参加したら、罰金だと真顔で注意を受けたこともある。ドイツは規律に厳しい国だというのは本当だった。
ただ、オランダとドイツのお国柄に多少の違いはあれど、人の真心に差異はない。オランダ人のバイス監督も、ドイツ人のシュレーダー氏も、誠意あふれる人だった。心が真っすぐであれば、熱い気持ちがあれば、己を強くさせて、人をも動かすのだ。
オランダからドイツへの分岐点では、大きな出会いと学びがあった。
コメント
セルティック移籍の噂あったけどほんとだったんだな。
先輩後輩の関係があるのは面白い。
そりゃ日本のスポーツ選手が馴染みやすいわけだ。
バナージみたいな口調で草