
「いや、最高のはずなんですけどなんか落ち着いてますね、なぜか」
そんな自分の状態は想定外、と言いたげである。
「まあ試合前から落ち着いてて、必要以上に高ぶらないし。なんか、いつもの試合なわけではないけれど、やっぱり3回目のW杯だからやるべきことに集中できてたということで、(宿舎からスタジアムに向かう)バスに乗ってるときからこれはいけるなーって感覚があったので、自信というか良い心理状態でした」
主将としての自分に気負うこともなく、いち選手としてのメンタルも申し分ない状態で試合に向かうことができた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/41179b832540c690bd5f6d40beccfa6d547263d5
監督と話した“いろいろなシチュエーション”

そんな吉田もW杯では今回、初めてキャプテンマークを巻いた。思い出されるのは前回ロシア大会でのことだ。前主将長谷部誠の代表引退について聞かれると涙が溢れた。
「本当に素晴らしいキャプテンで……。7年半、彼と一緒にやってきましたが、あれだけチームのことを考えてプレーできる選手は少ないと思う。僕はどうあがいても長谷部誠にはなれない。自分のスタイルで代表を引っ張っていかないと」
長く共にプレーした長谷部や他の仲間との別れを「寂しい」とも発言し、次期主将であることを自覚していたからこそプレッシャーを感じての涙でもあっただろう。長谷部から吉田への主将の移行自体は自然ではあったが、おそらく本人としては簡単なことではなかったはずだ。
この4年半の間、吉田は森保一監督と選手たちの間に入り、サッカーについて具体的な話をしてきたことを明かしている。例えば9月のアメリカ戦では、こんなやりとりがあったという。
「監督とも話して、色々な条件下で試合の流れに変化をつけようとか、試合の中でちゃんと変化をつけられるかを試しても良いですよねと。今日(アメリカ戦)はそれができたと。例えば試合の残り10分、勝っていたり負けていたりいろいろなシチュエーションがあるとして、変化をくわえなきゃいけない時、前からプレスをどうするのか、相手が3バックだった場合どうシステム変更するのかとか、確認しましょうと言いました」
かなり踏み込んだ話をした上で、「確認しましょう」とまで監督に提案できる。それが吉田主将のあり方だった。
ただ、それは当然ながらリスペクトを欠いた話でもなければ、選手主導で戦術が決まるというような話ではない。
ドイツ戦、前半は相手に圧倒的に押し込まれ、苦しい時間帯が続いた。耐えきることは「プラン通り」だったと話していたが、ドイツに8割もポゼッションされることは想定以上だったはずだろうし、立ち上がりの4バックから左サイドバックのラウムをあげて3バックにシステム変更してきたことにも対応はできなかった。
結局、対応できたのはハーフタイム。ベンチからの指示で3バックに変更することで守備的な対応をした。
「まあ2点目を取られるのだけは避けたいなと。(前半終了間際の)VARの時はこれはきつい時間帯に取られたなと思ったんですけど、あれが大きなターニングポイントになったと思うし、後半に入ってシェイプ(システム)を変えてメンバーを変えるということもプランにいれてたので、よくチームとしてまとまってやれたんじゃないかなと思いますね」
システムを変えたのは具体的に封じたい相手がいたからだ。
「ミュラーとムシアラのとこ捕まえるの難しいな、いやらしい動きするなと思ってたので、マークをはっきりしようっていうのを言ってたんですけど、(ピッチ内ではシステム変更はできないので)前半は(そのままで)しのごうと。前半はしのいで、ハーフタイムに監督が3バックに変えたことによって、ばっと守備がハマったので相手がちょっと混乱したかなというのはあります」
それは監督発信なのか、選手側からの発信だったのか、という質問が飛ぶ。
「いや、監督のあれ(指示)ですよ」
さらに、前半のうちに選手たちで相手のシステム変更に対応することはできなかったのか? とも質問が出た。
「とくにこういう大会って、ピッチの中で(システムとかを)急に変えるのすごい難しいんですよ。声もとどかないし、緊張もしてるし」
と、中での判断ではないと説明し、続けた。
「やっぱり、これ僕の想像ですけど、監督がロシアでそれ(ピッチ内だけでは対応しきれないということ)を経験しているからじゃないですかね。そういうことも感じますけどね。だから0-1で折り返すまでが大事だなと思ってたので、0-1で折り返せたのは大きかったなと思います」
最低でも0-1で折り返せば、ハーフタイムにベンチからの指示で何かを変えることができる。ピッチ内で無理をする必要はない。当然のことではあるが、ベンチへの信頼が大前提にあることをあらためて感じさせた。
4年半前「自分なりのスタイル」を探すところから、キャプテン吉田は始まった。時間をかけ、吉田が監督と丁寧に積み重ねてきたやりとりと、信頼関係はそのスタイルの一部になり、ドイツ戦勝利という大きな結果を手に入れた。